日本からのドイツの玄関口、またはヨーロッパの金融の中心地がフランクフルト アム マイン (Frankfurt am Main)です。
フランクフルトの歴史は794年、カール大帝のもとに帝国議会が開催された事に始まります。1152年には赤髭帝フリードリッヒ・バルバロッサがフランクフルトにてドイツ王に選出されます。その後1806年まで計33回神聖ローマ帝国の王がフランクフルトで選出されます。1562年にはアーヘンに代わって戴冠式もこの地で行われるようになります。
1240年に皇帝フリードリッヒ2世により、町は見本市開催の特権を得ます。その後14世紀には秋だけでなく春にも見本市が開催されるようになります。
1372年にフランクフルトは帝国自由都市になります。その後すぐの1405年にレーマーが市庁舎として使われるようになります。
16世紀に入り、町は商業都市として着実に発達していきます。1749年には、かのゲーテがこの地で生まれます。神聖ローマ帝国の崩壊後、1816〜66年にかけて、フランクフルトはドイツ連邦の首都になります。
1944年、第二次世界大戦により町は大きなダメージを受け、約半分が破壊されてしまいます。その後のドイツ連邦(旧西ドイツ)の首都決定の際はわずかな差でボンに負けますが、その後も金融の中心として現在に至っています。
このフランクフルト、かなり通過はしているのですが観光はなかなかできなかったので、2004年2月1日に行ってきました。なおその前後でもちょこちょこフランクフルトには顔を出しているので、写真はいろんな季節のが混じっています。
レーマー(Römer)はフランクフルトのシンボル的存在の建物です。レーマーの名前の由来は「ハウス・ツム・レーマー」で、これはローマ人館という意味です。見本市の際にイタリア商人が使用していたことに由来しています。
1405年にレーマーはフランクフルトの市庁舎として使われるようになりました。まもなくドイツ王、または神聖ローマ帝国皇帝の選出がお粉wれる用になれ、バルコニーそばのカイザーザールで祝宴会が開催されるようになりました。
このカイザーザールは見学することができます。中にはカール大帝から始まる神聖ローマ帝国のドイツ出身の皇帝の肖像画を見ることができます。これだけでも必見でしょう。