フライブルク (Freiburg)

フライブルクは(Freiburg)、ドイツ「黒い森」の南部のスイス国境にほど近いところにある中都市です

11世紀にフライブルクの町は初めて文献に登場し、13世紀にはフライブルク伯爵、その後19世紀までハプスブルク家の領地として町は栄えます。15世紀には大学と大聖堂が建てられ順調に発展していきますが、17世紀の30年戦争ではフランス国境に近かったこともありフランスに侵攻されてしまいます。さらに18世紀のバイエルン・プファルツ王位継承戦争に巻き込まれ、飢饉も重なり人口は激減してしまいます。また王女マリー・アントワネットがルイ16世との婚礼のためにフランスへ旅立つときここフライブルクを訪れています。

19世紀になるとバーデン大公爵の支配下になりますが、ここでも革命によりフライブルクは戦場と化してしまいます。第一次世界大戦時は敵の空襲にあいます。第2次世界大戦時ではフランス軍に一時占領され、フライブルクは長い歴史の中で数多くの戦火を受けてきました。

このフライブルクは環境都市として世界中に知られています。また日本の松山市とは姉妹都市の関係にあります。またフライブルクは「キリスト教世界でもっとも美しい塔」を言われる塔を持つ大聖堂があります。

このフライブルクに2003年11月22〜23日にかけて行ってきました。ヴュルツブルクからはフランクフルト&マンハイム経由でICEにて行きました。

フライブルクの駅 フライブルクの駅

近代的なフライブルク中央駅。

駅前には大気の汚染状態が分かる電光掲示板が。


大聖堂 (Münster)

フライブルクのシンボル的存在、キリスト教世界でもっとも美しい塔を持つと言われるのが大聖堂です

ロマネスク様式とゴシック様式が混在するこの大聖堂は、1354年に着工されます。政治的や財政的な問題から1370年に工事はいったん中断されますが約100年後の1471年に工事が再開され、1513年に当初の設計通りに完成します。その後外装はほとんど変わることなく現在に至っています。

外観で特筆すべきはその美しい塔。吹き抜けの塔に上ることが出来ます。塔の中から見る塔のシンメトリーは美しく苦労して登るかいがあるというもの。またフライブルクの町に眺めも絶品です。

教会の中は中世芸術の宝庫。13〜14世紀のステンドグラスをはじめ、16世紀の主祭壇、18世紀のハウザーによる最後の晩餐の像など見所満載です。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

フライブルクの大聖堂。塔の全体像を入れるのは至難...

反対側から。とてもがっしりとした作り。

教会前方部。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

前方の小塔部分。

教会後方部。

塔の拡大。骨組みだけの構造なのが分かると思います。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

塔の夜景。

教会内部。かなり広いです。

主祭壇。祭壇の絵は16世紀にデュラーの弟子によって描かれた。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

祭壇拡大。この祭壇にはマリアに関する4つの出来事が描かれていて、今見えるのはマリアの戴冠の場面。

主祭壇脇の小祭壇。

主祭壇の奥に進めるようなのだが、自由に入れるわけではなくツアーに参加する必要があるみたい。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

1330年頃に作られた聖墓。

1891年に作られた秘跡の祭壇。

祭壇拡大。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

1806年にハウザーによって作られた最後の晩餐。

拡大。大きさ的にはほぼ等身大か?これはユダ。

中央部。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

マリア像。

16世紀の聖3王祭壇(?)。

1559〜60年に作られた後期ゴシック様式の説教壇。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

燕の巣と呼ばれるパイプオルガン。

側廊の壁。ロマネスクよ彷彿させます。

柱の聖人像。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

ピエタ。

マリア像。

ステンドグラス。大聖堂の窓にはこの様な美しいステンドグラスがたくさんあります。

フライブルクの大聖堂 大聖堂 大聖堂

聖人たちを描いたステンドグラス。

マリアたちを描いたもの。

パン屋を描いたもの。いずれのステンドグラスも1320〜30年頃の作品らしい。


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