ハイデルベルクほど、ドイツを旅する旅人の心を引きつける町はないのではないでしょうか?
ネッカー川沿い、丘の上に城の廃墟、その麓に広がる旧市街と石橋。この風景を見るために、年間300万を超える旅行者がこの町を訪れています。勿論日本のツアーでも、人気のある町の一つです。
この地には、紀元前約55万年前には、ヨーロッパ最古の人類とされる「ハイデルベルク原人」が住んでいました。またローマ時代、3世紀頃までこの地にローマ人が砦を築き、集落がありました。
1196年、ネッカー川にかかる大橋と共に、「ハイデルベルヒ」として初めで書物に登場します。この時代はすでにプファルツ領伯の領地となっていました。
1356年、黄金憲章により、プファルツ領伯は、皇帝の選出権を有する、選帝候の1人になります。また1386年に、選帝候ルプレヒト1世により、ドイツ最古の大学が創設されます。
17世紀の30年戦争時、ハイデルベルクは大きな被害を受けます。1622年にカトリック派のテリー将軍に占領され、その後貴重な写本「ビブリオテーカ・パラティーナ」が戦利品としてローマ教皇に送られてしまいます。
1688年、フランスのルイ14世が、実弟の妃の出身が「プファルツ」で有ることを元に、プファルツ領を要求します。ハイデルベルク側の拒否により、遺産相続戦争が勃発し、1693年に徹底的に破壊されてしまいます。
1742年から、選帝候カール・テオドールにより、経済復興を計ります。城の再建もはじまりますが、1764年に落雷により再建中の城は炎上してしまい、以後の工事の続行は断念されます。
1803年、バーデン大公国に編入されます。その後戦災を免れたハイデルベルクは、中世の面影を残す町として現在に至っています。
このハイデルベルクに、2003年10月25〜26日に行ってきました。ヴュルツブルクからハイデルベルクへは、フランクフルト周り(ICやICEでいける)か、ラウダを抜け、Bad Friedrichshall Jagstfeldで乗り換えるローカル線経由の2パターンがあります。実はこの2つ、共に2時間強で時間的にはどちらを選んでも一緒なので、お安いローカル線経由で行きました(笑)。
中央駅から旧市内へはトラムが便利です。ビスマルク広場(Bismark platz)まで行くといいでしょう。ちなみに中央駅の前に観光案内所があり、ここで市内交通が乗り放題で、かつ城への入場も無料になる、お得なハイデルベルクカードを売っています。2日有効です。
ハイデルベルク旧大学の裏に、学生牢があります。
当時、大学は警察の権力の及ばない、治外法権の場でした。学生が悪さをしたときに、大学の規則に従い、ここが牢屋として使われていました。実際に牢屋としてつかれたのは1712〜1914年です。
収監は国家への反逆の場合は4週間程度、その他の場合は最長2週間程度でした。最初の2,3日は水とパンだけの生活でしたが、以後は差し入れが認められていました。学生の中では牢にはいることは名誉(?)なことだったようです。
学生牢の中は、学生による旗やシルエットの落書きで埋め尽くされています。ここもか〜〜と思うくらい沢山描かれています。
また学生寮は、大学の博物館とつながっています。
ハイデルベルク大学は、1386年に、選帝候ルプレヒト1世により設立されています。ドイツ最古のこの大学からは7人のノーベル賞受賞者を出しています。
ごつい作りの旧大学は1712年に建てられた建物です。1885年に大学創立500年を記念して作られた講堂の内装は美しいそうです(入り方分からなかった・・・)
その横に立つのが、20世紀になって建てられた新大学です。この新大学のさらに先に、大学図書館があります。美しい正面ファザードを持つこの図書館には、200万冊以上もの蔵書があります。ここには「マネッセ写本」といわれる、中世写本があります。600年以上前の本ですが、いまだ鮮明な色を残しているそうです(何処にあるかイマイチ分からず・・・おいおい)