リーメンシュナイダーとは?

リーメンシュナイダーの肖像
リーメンシュナイダーの肖像(墓碑より)

リーメンシュナイダー(1460年頃〜1531年)は、中世のドイツの彫刻家です。

ヴュルツブルクでマイスターとなり、ここに工房を構えます。後にヴュルツブルクの市長も務めます。卓越した技術により、繊細で表情豊かな作品が多いのが特徴です。一度見たら忘れられない、強烈な印象を受けます。

しかし農民戦争の際に扇動者の罪を受け、以後歴史から忘れ去られます。19世紀に彼の墓碑が発見され、再び歴史上に登場します。


リーメンシュナイダーの略年譜

1460年頃 ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)で生まれる。
一説にはオスタローデ(Osterode)とも言われている。
1465年頃 オスタローデ(Osterode)に移る。
1478〜79年 初めてヴュルツブルクに滞在する。
1483年 ヴュルツブルクの市民権を獲得する。聖ルカ・ギルドに加入する。
1485年 アンナ(Anna Achmidt)と結婚し、マイスターの地位を獲得する。
1490〜92年 ミュンナーシュタットの聖マグダレーナ祭壇を制作する。
1491〜93年 マリエンカペレのアダムとイブを制作する。
1496〜99年 シェーンベルク司教の墓碑を制作する。
1497年 Anna Rappoltと、2度目の結婚をする。
1499〜1513年 皇帝ハインリッヒの高石棺を制作する。
1501〜5年 ローテンブルクのヤコブ教会の聖血祭壇を制作する。
1504〜25年 ヴュルツブルクの市議会員に選ばれる。
1505〜8年 クレクリンゲンの聖母マリア祭壇を制作する。
1505〜19年 ヴュルツブルクのドームの祭壇を制作する(1701年に失われている)。
1506年 ヴュルツブルク市庁舎のテーブルを制作する。
1508年 Margarethaと、3度目の結婚をする。
1509〜22年 市参事会員に選ばれる。
1520年 Margarethaと、4度目の結婚をする。
1520〜21年 ヴュルツブルクの市長を務める。
1521〜24年 フォルカッハのローゼンクランツのマリア像を制作する。
1525年頃 マイトブロンの嘆きの群像を制作する。
1525年 農民戦争が勃発する。鎮圧後、捕らえられる。約2ヶ月後釈放される。
1527年 キッチンゲンのベネディクト修道院の祭壇の補修を行う。
1531年 7月7日、没する。以後忘れ去られる。
1822年 墓碑が発見され、再び歴史上に登場する。


リーメンシュナイダー紀行