シュパイヤー(Speyer)は神聖ローマ帝国を語るに当たって、はずすことはできないライン川沿いの古都です。
シュパイヤーには紀元前からローマ人が住んでおり、4世紀になるとここに司教座がおかれます。1030年、コンラート二世により大聖堂の建築が始まります。1039年にコンラート二世は亡くなり、工事中の大聖堂に埋葬されます。その後も工事は引き継がれ、1061年に献堂されます。
1294年、シュパイヤーは帝国自由都市となります。シュパイヤーの町は全盛期を迎え、じつに68もの市門があったといいます。また帝国会議が50回も開かれ「ゲルマニアの首都」ともいわれるほど発展します。
しかし1689年のプファルツ王位継承戦争で、フランス軍により町は徹底的に破壊されてしまいます。1698年から町の修復は始まりますが、近隣での戦争などの影響も受け修復は細々としか進行しませんでした。皇帝に力がなくなっていた18世紀末には「シュパイヤーにあるのは皇帝の遺体だけ」といわれるくらい、町は軽視されていました。
しかし20世紀になると戦災を受けていたドームの修復なども再開され、プファルツ地方の中心都市としての再出発が始まります。1981年にドームは世界遺産に登録され、町は新たな出発を迎えています。
このシュパイヤーに、2003年11月23日に行ってきました。フライブルクの帰り、マンハイム経由でいきました。マンハイムからは30分程度です(2005年では、カールスルーエ−ハイデルベルク−マンハイム−シュパイヤーを結ぶSバーンがあります)。
シュパイヤーのシンボル的存在がロマネスク様式の大聖堂(ドーム)です。神聖ローマ帝国の皇帝が建てたことからカイザードームともいわれます。
カイザードームは1030年、コンラート二世により起工されます。コンラート二世は1039年にこの世を去り、工事中の大聖堂に埋葬されました。その後も工事は続き、1061年に献堂されました。
1082年からハインリヒ4世によって大規模な回収が行われます。その際天井が平らだったものが、現在みられるようなドイツロマネスク様式のアーチ型へと改修されました。この改修は1106年に終わります。その後何度か増築および改修が行われています。
この大聖堂には先のコンラート二世をはじめとする、4人の皇帝と4人の国王、そして3人の皇后と5人の司教が埋葬されました。彼らの眠る大聖堂前方地下のクリプトは世界でもっとも美しいともいわれています。
17世紀のプファルツ王位継承戦争で、このドームも大きな被害を受けてしまいます。18世紀になると近隣の戦災や農民戦争が起こったため大聖堂の修復は18世紀末に始まりました。
1900〜6年にかけて、ドームの大規模な発掘調査が行われました。掘り起こされた棺は照会された後に、現在のクリプトのところに静置されました。
1957年から建築当時の姿に戻す改修工事が行われました。1981年にはユネスコの世界遺産に登録され現在に至っています。
このシュパイヤーの大聖堂の見所は初期ロマネスク様式の内堂となんといってもクリプトでしょう。狭くてちょっと暗いですが、そこに眠る方々はまさにドイツの歴史そのものです。
日本人はあまり訪れませんが、違った旅をしたい方は是非どうぞ。
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シュパイヤーの大聖堂(正面)。正面部分は最近修復されただけあって新しさを感じる。ドームの手前にある噴水みたいのは、1490年に作られた大鉢。1580Lはいるそうな。 |
反対側、ライン川側から。 |
ドーム側面。 |